東京タワー
それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。東京の中に。日本の中心に。ボクらのあこがれの中心に。
~リリーフランキー著「東京タワー ボクとオカンと、時々、オトン」より。
この風景を撮りながら、大好きな小説のこの冒頭のフレーズが真っ先に思い浮かんだ。
この小説は、私にとってとても思い入れのある一冊。
初めてアメリカに留学した16歳の時、アメリカについてから約半年が経った頃、急に日本語の活字が懐かしくなって小説が読みたくなった。そこで母親に電話をして、急遽日本からこの本を送ってもらった。
東京タワーという、日本の中心目がけて、人々は全国から集まり夢を叶える為だったり、仕事の為だったり、いろんな理由で向かってくる。しかし東京というあこがれの地にたどり着くも、そう簡単に全てがうまくいくこともなく、孤独や不安、ホームシックなど色々な感情に駆られながらも必死に生きていかなくてはいけない。そして日々の辛さと戦いながらも、誰しもオカンという存在に助けられる。小説の最後では、母親が東京タワーが綺麗に眺められる病室でひっそりと息を引き取る。そして主人公は、その後いつも東京タワーを眺めるたびに天から見守られているような、母親が見てくれているようなそんな暖かい気持ちを抱く。
中学卒業して間もない時に、アメリカという親戚も家族も誰もいない土地にいって音楽の勉強をすることにした私。最初に日本を離れる時から、全て一人だった。成田空港まで家族全員が見送りに来てくれたけれど、一歩入場ゲートをくくればもう誰も私の隣にはいない。別れ口で、不安でいっぱいになりながらも家族に手を振ったあの時は一生忘れない。
そんな自分の経験と照らし合わせて、毎回読むたびに妙にその主人公に感情移入しちゃって、「泣きたい」と思った日にはこの本を開いた。何度読み返したかわからない、涙で濡れてしわしわになった紙、ちょっとでも引っ張ればすぐにバラバラになりそうな状態・・・特に1年目の私はパソコンも携帯も無かったので、空いた時間には本を読んでた。それもいつも授業や会話は英語に浸かっていたので、日本語を見たり読んだりすることは唯一の癒しだった。
夢に向かって、努力したり、自分の力だけで生きていくってのは本当に大変なこと。夢をあきらめてしまうのは、簡単。でもそこで諦めたら意味がない。
始め、ホームシックになったとき、何度も日本に帰りたいと思った。自分の生まれ育った土地、家族、そして日本語が話したかった。私は、そこまで音楽に才能がないんじゃないか、こんなところにいてもしょうがないんじゃないか。そんな劣等感や、不安を抱えながら必死に生きていた。
そして、辛くてどうしようもなくなった時は私は東京タワーの代わりに、夜空を見上げてた。今、私が見ている月は13時間前に家族が見た月と一緒なんだよな。距離は遠くても、同じ空の下でつながっているんだよな。
そんなことを感じながら、家族の笑顔を思い浮かべるだけで元気が湧いてきたものだ。
この東京タワーを展望台から眺めていたら、通り過ぎていく人々、車、どれもアリの様にとてつもなく小さなマクロサイズで見えた。みんなそれぞれの人に物語があって家族がある。華やかな東京という日本の中心地で、今日も人々は夢を叶えるために必死で生きている。皆誰しも必死なんだよな。そして、孤独と戦ってるんだよな。
そんな思いを馳せながら、東京タワーを眺めた。
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