物の本質を見極めること
陽が沈むと共に、バンコクの夜はネオンの光や、屋台の煙で一段と賑やかな街になる。昼間よりも、夜の方が人々の活気で溢れている。何と言っても、たくさんの服やバッグ、レストランなど含め、ナイトマーケットはタイの観光では外せない項目であろう。
そして、このナイトマーケット。普段、日本ではなかなか見ることのできないブランドの模造品が格安で売られている。ほとんど本物なんてないんじゃないのか、ってくらい偽物で溢れている。値段が安ければ安いほど、やはりそれなりの品質でブランドの知識はほぼ皆無な私にも偽物だとわかる。ロゴがまっすぐに入っていなかったり、へんてこりんな名前に変わっていたり。そして、一万円を超えるようなコピー品になると、質屋の人でも本物と区別がつきにくいくらい精巧にできているものもある。
今回の旅は、私の友人と行ってきたのだが、その友人たちの買いあさりっぷりといったらなんの・・・。こんな安くルイ・ヴィトンだの、シャネルだの購入できる機会は今しかない!と意気込んて買っている。私も、何度も勧められた。”せっかくだから、可愛いシャネルのバッグでも買ったら?2、3年経って壊れたら捨ててもほとんど損するわけでもない値段でしょ。”
私にはどうもそれが理解できなかった。ブランドのコピー品で、見た目は似ているにしろ粗悪品である物になぜわざわざお金を払って買うのだろうか。
ブランドを買うということをステータスにしたいがために、実際の値段では買えないけれど、ブランド所有者だよ、と見栄を張りたいのだろうか。そして、偽物だとばれたら、余計に恥ずかしいという気持ちが起こらないのだろうか。
ブランドとは、そもそもその商品の品質が良いから、価値があるからそれ相応の値段を払う物であって、寧ろそのブランドが好きであるのなら、それを応援する上でも本物の商品を買うべきだろう。偽物を勝手に作られている正規会社のほうとしては、こんな偽物品が出回っている世の中は非常に迷惑であるわけだ。そして、実際店舗にいってよいサービスを受けるのも、買い物の醍醐味の一つであろう。
正規品がまだ余裕で買えるような経済状態でなければ、自分の金銭感覚にあったおしゃれをすべきだろう。なにも無理やり背伸びして、偽物のブランド品に全身を固めていても、品格も何もない。
人の見栄というものはくだらない。結局こういった模造品を買って、それを見せびらかして生きる人間は物事の表面上しかみていない。中身や本質、そんな物関係ないのではないか。見栄えがよければそれでいい。
そんな考え方は、嫌いだ。
人として、身だしなみを綺麗にすることはとても重要ではあるが、ペラペラのものでただ着飾っている人間は結局中身もスカスカでそのうちボロが出る。
ブランドのコピー品が蔓延るタイで、そんなことを強く感じた。
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